シャトー酒折ワイナリー「甲州にごり」は、ブドウを収穫する秋に味わう、日本の伝統品種「甲州」で造られるフレッシュでフルーティーな新酒です。
低温で丁寧に発酵させた後、タンク内のうっすらとにごった上澄みをボトリング。
ろ過もせず、加熱殺菌もしていない、とてもデリケートに造られた「生ワイン」です。
【白根・八幡地区】:香味豊かでボディのしっかりした男性的な味わい。
2020年は悪天候により八幡地区の収穫量が著しく減少。
例年通りの生産量を確保するため、南アルプスの「白根地区」のブドウも合わせて使用することになりました。
白根地区の甲州はミネラルと酸味が特徴です。
大きく味わいが変わることはありませんが、白根地区の特徴も感じられるワインとなる見込みです。
【必ずお読みください】瓶詰日から2〜3週間は生ワイン本来のフレッシュな味わいを存分にお楽しみいただけます。
その後は徐々にまろやかでフルーティーな味わいとなります。
また、時間の経過とともに澱の風味が強くなることがあります。
720ml×6山梨県産甲州 本商品は下記温度帯の商品と同梱可能です。
[ワイン][常温食品]※画像は旧ヴィンテージのものです【お届けについて】※出荷日の異なる[甲府地区][八幡地区][穂坂地区]を同時にご注文いただいた場合、一番遅い地区の発送日にあわせてお届けします。
早いお届けをご希望の場合は、別々にご注文ください。
他モールと在庫を共有しているため、在庫更新のタイミングにより、在庫切れの場合やむをえずキャンセルさせていただく場合もございますのでご了承ください。
【本数限定】毎年人気“日本版ヌーヴォー”新酒ならではのフレッシュさが魅力ふだんワインを飲まない人も心待ちにするワイン「甲州にごり」生ワイン甲州にごり[八幡地区] 2021 6本セット シャトー酒折ワイナリーKoshu Nigori (Yahata) Ch teau Sakaori Winery商品情報1年間お待たせいたしました!毎年大人気の日本版ヌーヴォー「甲州にごり」が今年もやってきます!初リリースから約10年、徐々にその評判が高くなり、昨年はご予約開始すぐにワイナリーの予定生産本数に達してしまい、全てのお客様のご要望にお応えすることができない事態となってしまいました。
今年も予定生産本数を上回る注文がワイナリーに届いているため、限定本数のみの入荷となります!ブドウを収穫する秋に味わう、本物の生ワイン。
造り手は日本における実力派のシャトー酒折ワイナリー。
日本唯一の伝統的なワイン専用品種「甲州種」で造られるフレッシュでフルーティーな新酒です!もともとは毎年、新酒として工場の人しか飲むことができなかった超限定ワイン。
低温で丁寧に発酵させた後、タンク内のうっすらとにごった上澄みをボトリング。
ろ過もせず、加熱殺菌もしていない、と〜〜ってもデリケートに造られた超フレッシュな「生」ワイン!まさに、できたての”旬”を楽しむワインなのです。
■2番目に解禁する「八幡地区」、香味豊かでボディのしっかりした男性的な味わい2番目に解禁する「八幡地区」は、香味豊かでボディのしっかりした男性的な味わいが特徴的。
できたてのフレッシュな味わいを是非お楽しみください!生産者情報シャトー酒折ワイナリー Ch teau Sakaori Winery1991年5月、日本を代表するワインの産地である山梨県の甲府市を一望できる風光明媚な酒折の地に現在のワイナリーを設立しました。
グループ会社である木下インターナショナル株式会社の海外メーカーとのネットワークにより、常に海外のワイン製造技術に関する最新の情報を得て、各国から導入した設備を使用し、甲州、マスカット・ベリーAなど日本固有の葡萄品種を中心とした日本ワインを醸造しています。
また、ワイナリーでは、梅酒・柚子酒などのリキュールも製造しています。
醸造地「酒折」について「酒折」は古事記・日本書紀に記された山梨でもっとも古い地名。
その昔、大和朝廷に対抗する酒折朝廷があったとも言われ、ヤマトタケル伝説にまつわる古代甲斐の中心地であったと伝えられています。
また、明治初期にはワイン用の葡萄栽培がいち早く行われ、葡萄品種開発の先進地としても知られていました。
地理的には昇仙峡、恵林寺をつなぐ北バイパス沿いにあり石和温泉、武田神社、善光寺もすぐ近くにあります。
また、江戸時代以前から甲斐の国にあった9つの古道「甲斐九筋」の起点だといわれています。
ワイナリーのエントランスには、古事記のヤマトタケル物語を表したステンドグラスが飾られています。
古代史の英雄、ヤマトタケルノミコトが東征の帰途、甲斐の国・酒折宮で野営なされたとき、 旅情を慰め「新治筑波を過ぎて幾夜寝つる」と歌で旅程をお尋ねになったが、誰もお答えできませんでした。
その時お傍で火を炊いていた老翁が「かがなべてよには九夜ひには十日を」と「かひ(甲斐)」の文字を折り込んで当意即妙に歌でお答えしたので、ミコトは大層その老翁をお誉めになり東の国の国造になされた、という話の情景を絵に現したものです。
また、この2人で1首の和歌を詠んだという伝説が、後に連歌の発祥となったとも言われています。
(※諸説あります)